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History

COEDOの原点やブルワリーの誕生や、
プレミアムクラフトビール醸造へと歩んできた道を紹介します。

COEDOの原点

COEDOの母体である協同商事は、1970年代から「安心で安全で美味しい」をコンセプトに有機農業に取り組み、農の地、川越とともに歩んできました。

古くから川越には、土壌を健全に保つための「緑肥(=緑の肥料)」として麦を植えるという農法があります。現代の川越の農家の方々は土づくりのためと、麦は収穫せずに畑に鋤き込んでいました。

これを使ってビールをつくってみてはどうか?これがビール造りの着想の原点でした。

プレミアムビールまでの道のり

1996年に踏み出した小さな一歩は、現在では世界のコンテストでも高い評価を頂けるようにまでなりました。
職人達の勤勉で真摯な立ち振る舞い、日本的な繊細な感性は世界のビールファンにも受け入れられています。
農と川越の地で生まれたCOEDOの背景から、さつまいもを原料とする世界でも出色の日本のビールである紅赤-Beniaka-が生まれました。
ビールの分野において日本人にできることを確信し、ジャパニーズ・クラフトビールとしてCOEDOを世界の人々にお届けします。

挑戦の始まり:地ビールからクラフトビールへ

1994

地ビールブーム到来と衝撃

1994年の酒税法改正で「地ビール」ブームが起こりましたが、未熟な醸造技術や高価格、クセの強さからネガティブなイメージが広まり、観光土産として扱われる製品が多かったため、ブームは衰退。コエドビールも影響を受けました。

 

1996

コエドブルワリー開設

1996年には発泡酒製造免許取得を取得し、コエドブルワリーが開設されました。

試行錯誤の末、川越の大地で育まれたさつま芋を用いたビール「サツマイモラガー」を醸造に成功しました。

「サツマイモラガー」が今の「紅赤-Beniaka-」につながります。

 

1997

クリスチャン・ミッターバウアーの教え

1997年にはビール・発泡酒販売免許取得を取得し、コエドブルワリー三芳工場が開設されました。

同年、本物の職人のビール造りを学ぶため、ドイツから代々ブラウマイスターを家業とする4代目クリスチャン・ミッターバウアー氏を招き、COEDOの職人たちは、彼の下で5年間本場のビール造りを学びました。

ミッターバウアー氏から正統な職人気質を、技術的にも精神的にも継承し、基礎としているのがCOEDOの職人達です。

 

クラフトビールの未来へ:進化と共創

2006

クラフトビールブランドCOEDO創設

小さな醸造所だからできる職人の手仕込みによるものづくりと、ブラウマイスターから継承した正統なクラフトマンシップによって、2006年、COEDOは観光土産の「地ビール」としてではなく、「クラフトビール」という新たな概念を日本の皆さんにご提案しはじめました。

ビールのすばらしさと、COEDOの想いを「Beer Beautiful」という言葉に込めて、ビールの「伝道士」として、皆さんへビールとともにある人生の楽しみをお伝えしています。

 

2016

醸造所移転とサステナブルな挑戦

2016年9月、緑豊かな自然の中で環境と一体になったサステナブルなクラフトビール生産活動のため醸造所を移転しました。

この醸造所は昭和50年代に建てられ企業の研修所として使われてきた美しい建築を改修したものです。

敷地内に掘った井戸から醸造用水を確保し、醸造活動で排出される排水もブルワリーで浄化し自然に還しています。

また、排出される麦芽や酵母を科学者と農家の力を借り、良質な飼料として牛や豚に食べてもらうことで利活用する地域循環の仕組みにも取り組んでいます。

 

2020〜

ブルワリーのある街づくり

2020年7月にはCOEDOBREWERY THE RESTAURANT、COEDO KIOSKを開設しました。

「ブルワリーのある街づくりの共創」を目指し、本施設を通じて、住民の方々、お客様達と共にわくわくするような楽しみをお届けしていきます。